三洋堂の歴史

私ども三洋堂というのは社長が創業者としてやってきたんですけど、皆様にお送りした色々な資料に載っている通り昭和34年から始めています。とは言っても 初めは個人営業の細々とした零細書店でして、本格的に多店化経営に取組み始めてからはそんなに経っていません。今の会社組織になったのは昭和53年つまり 13年前、社員を定期採用し始めたのが20年前という程度の、新しい会社です。
今でこそ全国的に名の通った地元有力書店ということで、こうして皆様にも会社説明会にお越し頂ける会社に成っていますが、決して老舗の書店ではなく、社員の半数以上が入社4年未満、社員平均年齢で28歳台という若い会社なのです。

1.創業までの経過
では、なぜ社長が書店をはじめたのか、ということに関してお話させて頂きます。
社長は満鉄という日本が中国に創った鉄道会社の社員として、尋常小学校を卒業してすぐ中国に行きました。15歳の時です。終戦になってしばらくしてから日 本に帰ってきて、義理の兄の援助もあって書店業を営むようになりました。創業に至る経過は簡単に話すと以上の様になりますが、その動機をお話します。

2.中国での経験
終戦、といっても外地で日本が負けての敗戦ですが、社長はハルビン近くの農村に住んでいました。18才そこそこの年齢です。その時にまず入ってきた軍隊 は、ソビエトの軍隊でした。満州あたりに来たソビエトの軍隊というのは精鋭部隊ではありません。急遽派遣された囚人兵主体の部隊で、規律もあったものでは ないひどい軍隊でした。暴行・掠奪は当たり前、要求するものは金と女と酒。関東軍(日本軍)の中国人に対する扱いを見てきていますから、「まあ軍隊とはそ んなもんだ」と社長は思っていたそうです。
そこに国民軍が来て、これも似たようなものでした。そして最後に入ってきたのが毛沢東の八路軍です。八路軍は民衆の支援から成り立っている軍隊で、社長の言葉を借りると、「人間を人間として扱う」はじめての軍隊でした。
社長はその頃多感な10代でした。ひどいのが当たり前の軍隊でそれだけ規律が守られていて、侵略側の国民に対してさえ、人の為を思って行動ができる人間が集まっている軍隊というのは、その思想が素晴らしいからだと考えました。もちろん、その思想とは共産主義です。

3.創業の精神
日本に帰ってきて、「軍国主義から日本が新しい体制にかわるとしたら、それは共産主義もしくは社会主義であるべきだ」と社長は思っていましたから、そうした思想を広めるために書店をはじめました。
当時はそういった思想書が非常によく売れる時代でした。日本が新たに再建されるにあたって、どういった方針で日本という国が進んでいくのかを、政治家だけ ではなく普通の人が真面目に考えていた時代でしたから。いろんな政治運動も非常に盛んな時期でした。そういった時代において今まで普通の人たちにはまった く目に触れなかった(戦前は禁書であった)社会主義や共産主義関係の本は非常によく売れました。それで当時、社会科学書を重視して扱っていた三洋堂は発展 したのです。

4.創業時との違い
創業時代は、いまお話したように、社会を変えるために思想書を普及する、つまり社会を良くする手助けをする、というのが三洋堂の理念であったわけです。
今はどうなったのか、と言うと、本店を見ますと社会科学関係の本もある程度置いてますけどそれを主力に売っている専門書店ではありません。10年前まで は、2階のフロアー全部が福祉関係や社会科学関係を中心とした人文科学の本でした。その10年前の昭和47年頃、本店の前身である「いりなか東店」という のは120坪1フロアーの店で、福祉と社会科学関係の本を扱っているだけのような店でした。
それをつくった当時、書店業界の中でも「三洋堂は気が狂った、あれでは商売になるわけない」と言われました。幸い安保闘争に端を発した学生運動の盛んな時 代で、とても好調な成績でスタートし、すぐに売れ過ぎて、3年で約3倍の300坪の本店に建て替えた訳です。
最近私どもが創っている店では、社会主義関係の本で置いてあるのは、文庫や新書になっているごくごく少数の初歩の入門書だけです。
いま社会主義や共産主義を広めることによって社会を良くできるとは社長も思っていません。ソ連や中国の人でさえも、今ではあまりいないと思います。