わが社の目指すもの

1.不変の理念
では、いまの三洋堂はなんのために会社をやっているのか。つまり会社の理念は何かというと、やはり社会をより良くするために書店をやっているのです。
理念というのは建前ではありません。「本音は金儲けだけども、建前としては社会に貢献することもいわなくっちゃ」という経営者は、学生の皆様が想像するよりも稀で、絶対的な少数派だと私は経験上感じています。
そもそも会社というものは、なんらかの経営者の信ずる理念を実現するために色々な事業をやっているわけです。当然、経営者は理念を本音の部分で信じているわけです。

2.理念実現のための書店
三洋堂はそのようにして社会に寄与するのかという方法の所で、つまり行っている事業の種類で、昔とは違ってきています。事業が違うというと大げさですが、創っている書店の種類が違うと解釈して下さい。
昔は社会主義関係の専門書を、近くにあった福祉大学という福祉に携わるごく一部の人に販売していました。いまは、コミックなどの手軽な娯楽を求める人も含めて、ごく普通の人を対象に一般的な本、雑誌を販売しています。
ところで、昔も今も、専門書を売るということは、ごく限られた人を対象にするということです。そして、ごく限られた-部の人が専門書によって洗練された知識を付けても社会に与える影響はほとんど無いということは今までの歴史から判って来ています。

3.普通の人を変える
いま三洋堂が目指していることは、普通の人々の知識をかえることです。皆が皆、専門書をよんでいただかなくても結構です。ですけども大多数の人が社会の不合理を知らなくて日々を過ごしているという状況は変えたい、と考えています。
どういうことかというと、 TVと雑誌からだけでは社会の本質的な根本問題というのは見えてこないのです。稀にトピックス的に取り上げられても、根本的な問題というのは、日常的な、当たり前のこととして問題視されないのです。

4.社会の不条理-貧困な福祉
具体的にどういうことかというと、例えばですね、日本の福祉が貧困だということは社長も、私もその通りだと思っています。しかし日本の福祉が貧困だということが社会の一般的な意見になっていません。
でも、実際には、交通事故などでお父さんを無くした母子家庭が、経済的理由から一家心中するということは、ままある事です。
ほとんどの家庭が、母子家庭になった瞬間から経済的に貧しくなるものです。乳飲み子を抱えた母親が、その子の将来を悲観してもおかしくない状況です。
しかも、こうした方々がどれだけいるかと言うと、警察筋の発表する交通事故死亡者が年間1万人。これは即死を含めて事故から24時間以内に死亡した方だけの数字です。24時間以降も含めた交通事故が原因による総死亡者数は統計が無いので正確にはわかりませんが、3万~4万と言われています。この中で、一家の稼ぎ柱の人は30%弱です。という事は、毎年約1万人の家庭が交通事故の為不幸に成っているということです。当然、交通遺児の数は1万では済みません。
ちなみに、交通遺児の方はこの中におみえになりますか?
……(挙手なし)
それでは、大学の友人とかに交通遺児の方がいる方は?
……(挙手なし)
こうして大学新卒対象に行う会社説明会で、交通遺児の方がいないのは、決して偶然ではありません。ほとんどの交通遺児の方は大学に進学出来ないのです。経済的な理由で。これはおかしいとは思いませんか、皆さん。
交通事故は、まだましかも知れません。と言うのも、治療などに要する費用は、大抵加害者側の保険でカバー出来るからです。一般の病気の場合はどうでしょう。ある日突然、お父さんが病に倒れることもあります。近い親戚にお金持ちがいるとか、処分してもかまわない土地などの資産があるとかの特別な人は例外として、普通の家庭では、これも経済的な貧困の原因です。収入が大幅に減少することもそうですが、医療に多額のお金がかかるからです。
日本では、医療は無料ではありません。長期に渡る生死に関わる大病、特に常時看護が必要な病の場合は、一般の健康保険の保証では、かなりの額の現金の追加が必要となります。お金が足らないからベストの治療が受けられない、なんて事も、日本では稀ではありません。
誰でも、身内が適切な治療を得るのにお金がかかるのなら、出したいと考えるでしょう。それが、出したくとも出せない、もしくは無理して出したけども、後には多額な借金が残る、という事が起きてしまうのも、ひとえに日本の福祉が貧困だからです。
交通事故の場合と同様、病がもとで一家心中が起こるのも、病そのものに絶望して、というよりも、経済的な絶望感と言うか、残された家族の将来に絶望しての事です。
こうしたことは、国が貧しければ、あまり問題でもないでしょう。仕方の無い事、運の悪い事で済まされます。けれども、今の、世界的に見ても有数の豊かな日本社会の中で、父親が不幸にも交通事故に会う、病に倒れる、そんな特に稀でもない理由で、ごく一般的な家庭が当然の如く不幸になるなどは、社会の不条理そのものです。
その不条理は、不幸にして身をもって経験する人のみが感じるだけで、大半の普通の人が対して気にも止めずに生活していけるのは、単にそうした状況は変えれる、事実変えた社会にも存在する、と言う事を知らされていないからだと私は考えます。つまり、そうした不条理を是正可能な社会問題として問題提起する情報が広く‐股の人に提供されないから、「まあ、しかたのないこと」になってしまうのです。
日本よりも貧しい国で福祉が充実してる国、つまり親が片方死亡しても子供が特に惨めな生活を送らなくとも済むような社会的な制度が機能している国として、イギリスやスウェーデンなど有名ですし、フランスやドイツ、ベルギーなど殆どの先進国でも当たり前のこととして福祉制度が整えられています。
そして、スウェーデンでも社会福祉制度は45年前の戦争直後には全く存在しませんでした。こうした国でも一気にではなく、徐々に社会福祉制度が整備されたのですが、「税金が高い」と不満を言ってる国民を無視して勝手に革新政党が福祉を推し進めたのではなく、選挙の度に、より高いレベルの福祉政策を打ち出した政党が政権を取り、その結果として福祉が充実されて来たのです。
幸いな事に財源が豊かな現在の日本で、これからでも同じ事ができないわけないのです。

5.社会の不条理一その他
今お話しした貧困な社会福祉以外に、社会の不条理はいっぱいあります。例えば、日本の高速道路はいつも舗装をやり直しています。一定期間使用するとやり直さなくてはいけない材料で出来ているからです。昭和20~30年代の産業道路のように、やり直さなくてもいいコンクリート主体の材料でやろうという話にはならないのです。
そんな馬鹿な話があるかと思われるかもしれませんが、本当です。それは建設省のお役人の天下り先の土木会社が儲からないと、お役人にとって自分の将来の天下り生活が豊かにならないからです。
土木業界に関わりのある人なら誰でも知っている事です。初めはおかしい、と思っていてもそのうち当たり前になってきてしまうものです。
他にも、士地がらみの資産格差の問題、住環境の問題、利権がらみの問題、教育問題など、社会の不条理は沢山あります。そうした不条理が不条理として認知ざれ是正されるには、一般に人がそれはおかしいと言わなければいけない。おかしいと言うためには、実情を正しく伝える情報が提供されなくてはいけない。
よく、日本の政治のレベルは低いと言われます。政治のレベルというのは、政治家本人が優秀かどうかではなく、その政治家を選挙で選ぶ一般の人の政治に対する意識と行動が決定します。
ですから「政治家がけしからん」と言いますが、政治家がけしからんのではなくて国民がけしからんのです。そういう状況を三洋堂は変えたいのです。

6.書店が社会に果たす役割
具体的にどうするかというと、まず本を読める人の割合を増やす事です。
ニューメディアを含めて、いろいろな情報媒体がありますが、まとまった整理された形で問題を提起し、解決への道筋を示してくれるのは本だけです。雑誌でも新聞でもTVでもありません。先程お話した様に、マスコミはトピックつまり、一時の話題として社会的な問題を取り上げる事はあっても、問題の根本に迫る事はあり得ません。
問題は、やや硬めの本が手軽に読める、活字を読むのが苦痛ではない、娯楽として活字を楽しめる、という人が少数派だと言う事です。
大抵はビジュアルの方にいってしまいます。これが、活字を楽に読める、たまには手ごたえの在る本も読みたい、と思う人が多数派になれば、社会問題がもっと表面化してくるはずです

7.本を読む人を増やす
まとまった形で、整理された形で、誰にも理解できる平易な言葉で社会問題を提起している本は沢山あります。ただ読んでいただけないだけです。読んでいただける人が増えれば必ず社会全体の意識は変わります。
そのために、つまり本と出会う機会をより多くの人々に提供するために書店のないところにはまともな書店をつくることがまず第一段階です。
とは言っても、書店をつくると本を読む人間がすぐに増えるわけではありません。今もう20代30代になっていて本を読むのがうっとうしいという方を本好きには出来ません。

8.まず子供を本好きに
イギリスというか、正確にはウェールズの炭坑地区で社会学者が調べた結果、放っておいても、つまり劣悪な環境においても、読書が好きになる子供はいるが5%しかいない。しかし良い環境下では70%を超える子供が読書が好きになることが判っています。そして、その「良い環境」とは、幼少の時に絵本を毎日の様に読んであげることです。
最近オープンした三洋堂をみるとおわかりいただけると思いますが、必要以上に児童書売り場を広く取っています。
本を気軽に読める人を、幼児段階から育てようという長期的な展望に立ってのことです。 児童書を誰が買っているかというと、当たり前のことですが、お爺さん・お婆さん・お父さん・お母さんです。気軽に行けるところにまともな書店があれば、子供が行きたいと思うような明るい魅力的な書店であれば、自分で本を読むかどうかは別として、必ずお父さんやお母さんは子供に本を買ってくれます。
絵本を頻繁に買っていただければ、子供は本が好きになります。はじめは、子供は本そのものが好きではないんです。幼児は字が読めませんので、お父さんやお母さんから読み聞かせてもらいます。自分にかまってもらう事が好きなのです。けれども、そんな区別は実際つきませんので、本が好きだと錯覚します。そうしているうちに、やがて本当に本が好きになるのです。

9.感動する本との出会い
自分で本が読めるようになって、ある程度の量の本を読むうちに、やがていつかは感動する本と出会います。
若い時期、中学時代とか高校時代とかに読めば感動できる本はたくさんあります。私のような30代や、多分あなたがたのような20代でも、白けて読むような理想主義的な内容のものでも、10代半ばで読めば感動できるものです。多感な時代とでも言いましょうか、そうした時期にしか感動できない本として、例えば「君達はどう生きるか」や「空想から科学へ」などがあります。読まれたことが無い人が、30歳になってから読んでも、「良く書けている」とか、「なかなかいい」とか、さめた感情でしか評価できない種類の本ですが。
そして-度でも感動した経験を持つ人は、絶対に本から離れません。そして頻度高くまともな品揃の書店に通っていただければ、必ず社会問題を取り扱った書籍にも出会っていただけます。ですから、多くの人に多感な青春時代、感動できる本との出会いを提供できる書店をつくっていけば、必ず社会の意識は変わると三洋堂は考えています。

10.普段の暮らしを豊かに
いまお話したような、普通の人を変えるというのがわが社のキーコンセプトです。この中で書店志向のかたは三省堂や紀伊國屋、八重洲ブックセンターに就職希望のかたもみえると思いますが、そうした書店と三洋堂とは進む方向が全く違います。
車に例えれば、ベンツが新しく変わってどれだけ静かになったり信頼性が高まっても、あるいはフェラーリやポルシェがどれだけ速くなっても、普通の人には関係のない事です。
全く同じ理由で、三省堂、紀伊國屋、八重洲ブックセンターがどれだけ良くなっても、普通の人にとってはどうでもいいことです。ごく一部の読書人とよばれる人だけに関係あるだけです。社会を変える.政治を変える事に関しての影響力は無に等しいわけです。
ですけども軽自動車やカローラやコロナが良くなって、日本の交通事情は変わりました。昔の様に高速道路でボンネットをあけている光景にはめったにお目にかかれません。田舎にいけば、免許証の取れる年齢に達した成人の数だけ家に車があります。車が人の移動手段として欠くべからずるものになってきたのです。とても大きな社会的な変化です。この変化を可能にしたのが、軽自動車であり、カローラやコロナです。けしてベンツやフェラーリやポルシェではありません。
もうひとつ例を上げると、三越や松坂屋などの百貨店では昔から色々な食品を扱っていますが、食生活を変えるような影響は一度も持っていません。しかし、スーパーは日本の食生活を変えました。例えば、うなぎ。例えば、オレンジ。いずれも百貨店では戦前から取り扱ってきましたが、ハイライフの象徴ではあっても、一般的な食生活の中に登場する事はありませんでした。そこにスーパーができ、独自のマーチヤンダイジング活動で開発輸入を行って価格破壊をし低価格で提供するようになって、やっと日常的な食べ物になったのです。
普通の人が憧れを持つようなものではなく、当たり前の様に日常生活の中で接するものが変る時、社会は変るのです。書店でいえば、普通の人が良く行っても年に1度か2度行くに過ぎない都市型大型書店ではなく、日常の生活の中で気軽に立寄る身近な書店が変る時、大多数の人々の読書習慣を変え、社会を変えることが出来ると考えています。

11.貧困な読書環境
皆様の中に、行政人口で3万人程度の地方小都市で育った方はお見えになりますか?
   …(数名挙手)
そうした地方小都市では、大抵のところで書店のイメージは、うす暗い蛍光灯がかすかにともっている、狭くて暗いジメジメしている息詰るような雰囲気のあるとこ、です。例外はあります。けれども、ほとんどの地方都市では、本当に情けないような本屋しかありません。
用事があって、どうしても行かなくてはならない時にはそうした本屋に行ったとしても、欲しい本はないし、おもしろそうな本も雑誌もあまりない。ということで、自然とますます足が遠のくことになります。
とくに絵本は軒下に置いた大手出版社の埃だらけの絵本塔に、雑多に安っぽく並べられている事が多いのです。しかも、旧商店街の狭い路に面しているので、車では近寄れない。そんな本屋に、普通の主婦やおじいさんが気軽に子供や孫の為に絵本を買いに喜々として頻繁に来店するはずないのです。

12.東濃地域での実績
三洋堂が出店を開始した7年前は岐阜県東濃地区では、いま述べた様な本屋さんしかない、わたくしどもの言う「書店空白地帯」でした。初めに多治見市、次に可児市、美濃加茂市、関市、瑞浪市、中津川市、福岡町、御嵩町、可児にもう一店、そして先月の恵那市と出店を進めて行きましたが、いずれの地区でも既存の書店の売上を大幅に落とす、つまりお客を奪うこと無く順調に商圏人口あたり1万円程度の売上をあげています。
以前は通産省の商業統計でも全国的に書籍購買水準の低かった東濃地区は、今では中都市並の水準にまでなっています。なにが言いたいかと言うと、本が売れないのはまともな書店がないからで、どんな地区でも、まともな書店さえあれば、必ず本は売れる、という事です。

13.書店の必要条件
それでは「まともな書店」とは、どんな書店のことをいうのか、三洋堂では基本的にこう考えている、という概略をお話しします。
まず手軽に行けるところにあるということ。先程お話ししましたように、いくら立派な書店が在っても、それが電車を乗継いで1時間もかかるところでしたら、普通の人は頻繁にはこれないですよね。
それと、旧商店街の狭い旧道沿いでは、車でこれません。ですから、車で10~15分、最高でも20分程度の時間でこれて、しかも運転に自信のない人でも気軽に駐車できる広い駐車場をもつ、というのが条件の1つです。つまり時代にあった立地です。それと、店自体が十分広いという事。いま三洋堂で創っている店舗は3万人程度の町に150坪です。150坪と言うと、この会場が30坪ぐらいですから、この5倍です。
その150坪の中に、ベビーカーを押して店内を回っても他のお客様の迷惑のかからないだけの広い通路と、子供が絵本を置いて読んでも汚れないだけに掃除が行き届いた床、そして明るい照明のなかでの落ち着いた雰囲気と、感じの良い笑顔の接客。
つまり、つまらないTV番組しかない平日の風呂上がりや雨降りの休日に家族みんなで「行きたくなる」アメニティーの要素を全て備えることです。

14.豊富な商品とは
そして、当然のことですが、そこには豊富な商品がなければなりません。
皆さんが御存知のように、本はどこで買っても値段も内容も同じです。
同じ本を三洋堂は他より安く販売できるとか、三洋堂の「少年ジャンプ」は他よりおもしろい、などと言う事は有り得ません。
唯一、お客様が感じる事のできる違いは、商品力です。ただ、商品力と言っても、いわゆる読書家・読書人の考える「良い」商品が揃っている書店に必ずしも豊富な商品があるわけではありません。例えば、東洋文庫が全点揃っている、岩波文庫がフルラインナップで揃っている、明治図書の教育書がみごとに揃っている、そんな150坪の書店を想像して下さい。そうした書店に対し、普通の主婦が魅力を感じ、商品が豊富だと思うでしょうか?答えはNOです。
なぜなら、料理の本・雑誌や育児の本などの分野は、それらの書籍に割りを喰ってしまい、あったとしても店の片隅に追いやられているからです。
50万とか100万の大都市の中心部で-部の読書人を相手に商売をする場合と違い、3万とか5万人しか人の住んでいない地方都市で書店を営業する場合の商品の豊富さとは、地域の大多数である普通の人々が関係する分野の商品の豊富さだということです。
しかも、狭い地域に住んでいる限られた数のお客様がくり返しご来店されることでしか売上は確保されませんから、季節や時期に合わせて違う商品が展示してある、ということでは、いくら厳選された商品が広いスペースに豊富にあっても、すぐ飽きられてしまうからです。