1.本部の移転と本部機構の改革 1991年~1992年

チェーンストア理論による方向性が1991年の本部の新社屋への移転と新組織へとつながっていくのでしょうか。

そうですね。商品部、AV事業部、店舗運営部という営業組織体制の確立、総務部に人事部、電算課、経理課をつくる。あわせて石川島播磨重工業で人事関係の仕事に携わってこられた安藤貞久さんにきていただき、新しい人事管理システムである、職能等級制度、人事考課制度をつくっていただいた。商工中金からの出向で滝澤洋充さんが入社された。安藤貞久さん始め経験豊かな方を嘱託というかたちで招きいれた。和裕さん主催の店舗運営勉強会や社内報の定期発行もこの頃です。
この過程でビジョン、価値観とシステム化は宏さん、組織、教育、広報は和裕さんみたいな役割分担が確立されて動き出していた。ですから一社長、まさ子専務が言っておられたスム-スな世代交代が自然なかたちでつくられるようになってきました。この間、社長・専務はじっとみておられました。宏、和裕と、一社長、まさ子専務の意見の相違は、そうとう喧喧諤諤やっておられたようです。我々の前ではそういったことはみせない。みんな宏と和裕に任せてあるからと。でも、ずいぶん危なっかしいと思われていたのかもわかりません。時々、そんなことを一社長もまさ子専務も私に洩らされたことがあります。

                    

           本部新社屋                  建設中の新本店              新本店開店セレモニー

三洋堂にとって大変な変革の時だったのですね。San-gramができたのもこの1992年ですね。

村上忍先生との出会いは本当にいい出会いでした。ペガサスできっちり理論武装して、村上忍先生で実務展開。和裕さんが立て続けに運営の政策を出されたのがこの頃です。いまの運営の基礎はすべてこの頃できています。WOS、業務段取表、職種制度。宏さんの趣味がコンピュ-タ、和裕さんの趣味はマネジメント。トップに恵まれた会社です。

出店はどうだったのですか。

高山地区に出店したのが1991年、同じく本店の600坪もこの年でした。同じく1991年には恵那店を出店して、ほぼ岐阜県の東濃地区はこれでおさえました。この東濃地区でのドミナント形成は、その後の出店で強くドミナント形成を意識することになります。そして11月の本店の移転増床を最後に、次の猪高車庫東店から、新規出店は日販からトーハンに変わることになります。

それは何か理由があるのですか。

この頃日販が名古屋支店を黒川に移転される、トーハンは小牧トーハンを新しくされて物流倉庫としての中部ロジスティックセンタ-を立ち上げられる構想があった。ちょうど三洋堂が支店経営からチェ-ンストアとしての体制を作っていこうと方針を決めていた。そうなると店売中心の日販黒川より、トーハンの物流倉庫としての中部ロジスティックセンタ-構想のほうが、三洋堂の方向性と合致した。必要なものを必要な時に計画的に配送していただけるトーハン様の物流システムが、チェ-ンオペレ-ションには合致しているからです。
そしてちょうどこの頃、出版社の企画説明会のときに、たまたま当時の上瀧トーハン社長と宏さんの席が隣り合わせになって、宏さんが取次の物流構想について話をされたら、いたく上瀧社長が興味をもたれた。そのあと文書で宏さんがレポ-トを出された。宏社長が、トーハン上瀧様とお付き合いさせていただくきっかけでした。トーハンのトップの方とのおつきあいは、社長、専務ではなく宏さんから始まった。上瀧会長にはほんとに親身になって接していただき、一社長の葬儀の時も、宏さんの葬儀の時も。

2.店舗開発の加速化と関西地区への出店 1993年~1994年

ところでこのあと1994年から関西への出店も始まっていますが、これもドミナント形成を意識されていたのですか。

ええ、第2商勢圏としての関西をうたいました。もともと関西地区出身者が多く、関西への出店は悲願ともいえるものでした。94年の大津店が関西出店の第1号店。契約面積の関係で、最終的に出店が決定したのが開店の3週間前でした。最初の関西出店、しかも開店まで3週間、売場面積が330坪、インショップ。これまでの開店とは何もかも勝手が違った。ピリピリしていました。いまでも当時の京都支店のご担当だった辻野係長とか、大阪支店の服部係長からは、当時の過激ぶりを言われて赤面してしまいます。そのあと今宮店、深井店、池田店と続きます。
 93年2月の東海店ぐらいまで宏さんが出店のレイアウト関係まで実務されていましたが、4月の知立店からまた私が開店関係はやるようになりました。宏さんはこの頃から社長業へ仕事内容を徐々にシフトされている感じでした。宏さんが社長業、和裕さんがそのスタッフとしてきっちりスクラムを組んで会社を経営していこうといった感じでした。

出店の加速、ブックサ-ビスの導入、スリップ読取機の導入、WOSの発表と次々に改革的諸政策が打ち出されてきます。

おもしろいほどどんどん変わっていって、変わっているという感じに浸っている暇すらなかったというのが実感です。現場はほんとうに大変でした。94年12月のひと月に3店舗の出店も始めてですし、ブックサ-ビスの導入とか、スリップ読取機の導入で、それまでのスリップという、この業界100年の知恵に対する考え方も変わっていった。業界常識がどんどん崩されていく、戸惑いと小気味よさとでもいうのでしょうか。やっているほうとしては、毎月の出店で立ち止まってそんなことを考えている暇すらありませんでした。そう言った意味では、宏、和裕体制が軌道に乗ってきたということです。この頃から一社長はもちろん、まさ子専務もあまり本部には出社されずに、杁中三洋堂のほうで執務されることが多くなってきました。そろそろ任せてもいい頃と判断されていたのでしょうか。

1992年の渥美店、93年のルネック店と長年三洋堂にお勤めになられた社員の方がFCとして独立されているのもこの頃ですね。

そうです。筒井正博さん、高橋敏男さん。筒井さん、高橋さんは一社長、まさ子専務と創業の頃からいっしょに仕事されてきた大先輩です。