1.年商100億円突破と新社長の誕生 1995年~1996年

大量の出店数だった1995年頃のお話をうかがいたいのですが。

93年の2月の東海店から5月の半田店までの毎月出店で、開店のパタ-ン、標準化を相当意識してつくりましたので、開店すること自体はスム-スにいったのではないかと思います。また開店後の運営についても、和裕さんの主導でこの年、職種制度も導入したり、けっこう早めに軌道乗せができるようになってきた。やっとチェ-ンオペレ-ションが手の内になってきたとでもいえるのでしょうか。また滝澤さんの店舗開発部、和裕さんの店舗運営部と宏さんの商品部がうまく機能していた。それよりなにより、よくこれだけ出店できるお金が続いたと思います。

バロ-さんとの共同出店は1995年の大垣店からですね。

そうです。最初に大口店の話しをバロ-さんからいただいて、開店は大垣店からとなりましたが。そして大垣、大口、春日井西、領下、西可児店と続きます。また滋賀県の丸善さんとの豊郷店、四日市のキクヤさんとの富田店と、SMとの共同出店が続きます。これも出店に拍車がかかった大きな理由かと思います。店長の粗製濫造とも言われましたが、特に破綻もなくやれたのは、88年以降の新卒採用組が順調に育ってきたこと、運営部と商品部という営業ラインが組織として機能しだしていたこともある。 その一方、95年6月に中川さんが御嵩店で、渡辺君が可児店で、竹内さんが96年2月に瑞浪店でFCとして独立しました。3人ともほんとうにベテランといわれる人達です。

ところで三好さんは1996年に経理についておられますが。

96年2月にそれまでとはまったく畑違いの経理部長に就任しています。実はこの前年に、監査法人のト-マツ様の事前調査がありました。つまりこの時期いよいよ具体的に株式公開の準備にはいったということもあって、いろいろ整備しなければならないことがある。ついてはもちろん経理は主体だが、公開に当って社内事情に詳しい私がまず経理サイドから公開体制を整えていくという、そいういった事情かと思います。 公開準備の過程で、これまでの従業員持株会だった一二三会から、正式な従業員持株会を分離して、一二三会は純粋な従業員の福利厚生団体としたのもこの年です。

株式の公開ということで社内体制を整備していこうと

株式の公開は一社長の夢でしたし、宏さんはまっとうな企業となるために株式の公開を使っていこうと考えておられたようでした。宏さんはよく「まっとうな企業」ということを言っておられました。そういった意味で「家業から企業へ」の仕上げに入り出したということでしょうか。

さていよいよ社長交代とトーハン様への帳合一本化の96年になります。

問題は消費税率の改定でした。
96年に、97年4月から消費税が3%から5%に改定になることが決まった。3%一本なら電卓片手でもなんとか店頭で対応できたと思うのですが、97年4月以降は同じ商品でも仕入時期によって3%と5%の商品があったり、消費税率の異なる商品が店頭で混在することになる。それをいちいちレジで打ち分けるなどとても人間わざではできないことです。そこで数年先に予定していたPOSレジの導入を早めざるを得なくなった。そのさい主帳合が2つもあると、システム上非常に負担がかかり、かつとても非効率なことになる。システムも二つ、メンテナンスも常にふたつ。これは今後も、店舗数が増えつづければ増えつづけるほど負担はどんどん増えていきます。そこで日販さん、トーハンさんと三洋堂とのデ-タのやりとりとか経理処理関係を、共通の仕様にすることで解決できないかいろいろ検討しましたが不可能でした。
 ですから日販さんになにか落ち度があって、トーハン様に一本化したとかということではなく、あくまでも三洋堂側の都合で一本化せざるを得なかった。そういったことで、これまでお世話になってきた日販さんに申し訳ないということで、一本化にあたって、日販さんとのお取引の終了とともに、それまでお世話になってきた一社長、まさ子専務が引退させていただくことで三洋堂としてのけじめをつけさせていただいた、ということです。 日販さんでも特にお世話になった深澤権三さんには、社長専務もただただ申し訳ないと。
私としても、非常につらいものがありました。古手の社員はみんなそうだったのではないでしょうか。三洋堂の担当として本当にお世話になった日販の永福保さん、井上捷二さん、青木政治さん、三洋堂のコミックをここまで育てていただいた伊豆克広さん、ベスト商品が入らないときよくわけていただいた梅村さん。宇津木彰さん、加藤光吉さん。そしてお会いするのがとってもつらかった、変更時の牛込支店長、長谷川課長、森係長さん。最後まで残念だ残念だと言いながらも、淡々と事後処理をしてくださいました。本当にいまでも感謝しています。
それで急遽8月にまさ子専務、11月に一社長が勇退され、11月株主総会で宏社長、和裕副社長、それと私が取締役で、商法に規程された最低3名という取締役の帳尻を合わせて、新体制ということでスタ-トした。この体制で帳合の一本化、POSレジの導入などを乗り切っていくことになります。
このあとしばらくの間、宏さんは予定されていたこととはいえ、社長という重圧感というのか、社長としての孤独感を感じておられたのが、おそばにいてひしひしと感じられました。宏さんは絶対弱音を吐かれない方でしたけど、ああ、ずいぶん無理をされているなあって、感じることも度々ありました。それと一社長のときもそうですが、やはり現業をはなれて社長業に専念されるとき、ずいぶんさびしい思いもされたようです。宏さんは、本とか文具とか本当にお好きでしたから。

1995年、トーハン中部ロジスティックセンタ-と共同で開発を進めていた新しい受発注システムが完成し、全店にコンピュ-タ端末が導入された。また店舗作業の標準化と定期定例化に伴い、店舗には職種制度も導入された。
直営店舗が44店舗となったこの年、年商は100億円を越え、レンタル売上も5億円以上となった。

2.帳合の一本化、450坪複合型店の開発 1997年~1998年

そして、いよいよ1996年12月から主取次の一本化作業、1997年3月にPOSレジの導入と続くわけですね。

そうです。帳合一本化にあたっては、いろいろないきさつがあって12月に急に日販さんからの商品供給が止まることになった。このときのトーハンさん全社あげての対応はいまでも強烈な印象となって覚えています。日販さん帳合だった店舗へはじめてトーハンさんからの雑誌が到着する日には、名古屋トーハンの職員の方が各店にいっていただいて荷物の到着で混乱がないか確認していただいたり、常備の切替では岩崎さんにはものすごくお手数をおかけしたし、本社では高野正栄さんに書籍の手配とか、岸支社長、佐久間支店長には本社との調整でかけずりまわっていただいたり。ほんとうに全社あげて動いていただいた。このときほどトーハンさんが組織をあげて動かれると、ほんとにすごい。と、あらためてそう思いました。

そのあとPOSレジの導入と続くわけですね。

本来POSレジというのは商品管理ツ-ルと思われがちですよね。でも、今回のPOSレジ導入目的はあくまで消費税対応。でもせっかくだからこれを機に、一気にOA化を進めようと、引続いてバックヤ-ド端末というかたちで、入荷・返品もデ-タ化する。これは販売用ではなくあくまで会計系の商品管理用です。つまり入荷・返品・販売をデ-タで捉えることによって、ロス管理をする。納品照合、請求照合などの経理作業を効率化する。あわせて店舗における検品・返品という作業を単純化し、作業精度を高めていく。その後POSの販売デ-タが蓄積されてから販売用商品管理に移行していく予定でした。
これ以後の3年で一気に入荷、販売、返品、発注、納品・請求照合の電算化が進みます。主取次であるトーハンのご協力のおかげです。特販の清水課長、宮林係長にはずいぶんトーハン本社内の折衝にご尽力いただきました。どこの会社でもそうですが、システム関係とか、物流現場とかは一筋縄ではいかない部署ですから。このお二人をはじめ名古屋トーハンの柴豊課長、書店の立場にたっての書店のシステム化推進にご理解いただき、三洋堂のシステム化が一気に進みました。ずいぶんトーハン様にとって無理なこともお願いもしましたが、いってみればこれが帳合一本化のメリットですから、なにがなんでも実現していこうという気でお互い取組んだ成果だと思っています。もちろんまだまだ完璧というにはほど遠いので、これからもどしどし進めていきます。

1994年のWOS導入から進めてきた店舗運営の標準化と安定化への取組みは、1998年6月の「OJIプログラム」の導入で次の段階へと進むこととなった。インタ-ネット上にホ-ムペ-ジを設け、社員募集要項や会社概要、店舗一覧、社内報を掲載するなど、情報公開もこの年から積極的に進めることとなった。

3.創業社長加藤一逝去 1999年

この間、宏社長、和裕副社長体制で順調に推移していくわけですね。そして1999年6月創業社長が亡くなられた。

この時は、ああ、我々にとってひとつの時代が終わったなあって。
大勢の方にご参列いただきました。すでに三洋堂書店の現役は引退されていたわけですが。でも、自分で言うのも変ですが、このときほど組織だった三洋堂のすごさを我ながら実感したときはなかったです。宏さんは喪主として動けなかった分、和裕さんが陣頭指揮にあたられ、ものの見事に葬儀を臨機応変に仕切られた。葬儀が始まってからは、私のほうで仕切らせていただきました。なんとかこれまでいたらない私を育てていただいた一社長の葬儀に間違いがないようにと、緊張の連続で、トーハンの上瀧社長、加藤憲の加藤社長に立派な弔辞をいただきましたが、会場にいてもほとんどなにも聞こえていない状態でした。最後に出棺のお見送りの時、お車の中で一社長の遺影をもたれたまさ子専務のお顔が見えたとき、緊張の糸が切れたようで、その日、はじめて涙がとめどなく流れてきました。

4.宏社長の急逝と和裕新社長での出発 2000年

業界が一段と冷え込んでいるなかで、続々と大型店を出店し、また業績も順調に推移していますね。

店舗開発、商品問題、運営問題、まだまだもちろんいろいろ問題はあるにせよ、ほんとうにお取引先様のご尽力をいただいて、うまくかみあってきています。

そして宏社長の急逝が。

一社長の時と違って、ほんとうにまったく突然だったので、動揺するとか悲しむとかそんな感情のありかたがあるのではなくて、まさに茫然自失というか、ありえないことなので、真っ白な空白状態だったとでも言えばいいのでしょうか。
和裕さんは、本当に怒られたときとか、悲しまれたときとか、驚かれたとき、感情が一気に高まったときは、態度、言葉づかいが逆に淡々となられるのですよ。この日、私は商品部のバイヤ-といっしょに東濃の店舗の支店巡回にいっていたのですが、直接和裕さんから理由もいわれずに「すぐに本部に帰ってくるように」という一報をいただいたときも、心の乱れを表すことなく普段以上に淡々とした電話口での和裕さんの対応をいまでも覚えています。あとで思えばお兄さんが亡くなられたわけですから。そしてそのあとの対応もきっちりされ、ご本人もご遺族でありながら、宏社長のご遺族のことを心より心配され次々と手をうたれていきました。
特にト-ハンの金田社長には葬儀委員長までおつとめいただき、トーハン様は上瀧会長、藤井副社長はじめ、本社からも社としてではなく故人と親しくさせていただいた方々のご参列をあおぎ、トーハン様全社あげてのバックアップと弔意をいただき、本当に心強かったです。加藤憲の加藤順造社長には、肉親以上の悲しみあふれる弔辞を頂戴し、精文館の木和田泰正社長、フタバ図書の世良與志雄専務、親しくさせていただいた出版社の方々からのほんとうに心からの悲しみと励ましのお言葉もほんとうにありがたかったです。