刊行にあたって

1959年1月4日、名古屋市昭和区花見通の杁中の地に15坪の本屋が生まれました。
加藤一、まさ子の夫婦が、1948年に池下で創業した「三洋堂書房」を兄に譲り、「杁中三洋堂」として再創業したのです。
それから19年後の1978年12月「株式会社三洋堂書店」が設立され、現在に至ります。

加藤一の長女、睦美は弊社40年史に、こう書いています。
『あまり皆さんのご存知ない、今はもう三洋堂にいない人たち、三洋堂を創ってきた人たちのことについてお話したいと思います。
一番最初にお店にきてくれたのは、浅井さんという女の子でした。素直で真面目で我慢強い子でした。女の子はやらないものだといわれていた配達の仕事も嫌がらずにしました。それは、身重な奥さん(母)でさえやっていた仕事でしたし、農家の子でしたから重いものを運ぶことにも慣れていて、何の疑問も感じずにしただけでしたが、「歴代、三洋堂の女子社員さんは配達の仕事を嫌がらずにやる」と語り草になったくらい、めずらしいことだったようです。浅井さんがやっていれば、次に入ってきた女の子もそれを真似してちゃんとやります。それで、三洋堂では女の子が配達するのは当たり前のことになってしまったのです。エミちゃん、近藤さん、向陽高校の夜間に通っていた筒井さん…どの子もみんな働き者で有名でした。
そのうち、近所にあった日本福祉大学の夜間の男子学生さんたちが働きに来てくれるようになりました。
さて、支店展開するころには、大卒の新入社員を採用するようになりました。
そのころの三洋堂の労働条件は今と比べ物にならないほどひどいものでしたが「書店人募集」という広告に夢を抱いて入社されたのでした。なんの資本も持っていない三洋堂が発展していくには、この頃の社員さんたちの機動力あふれる労働がものを言いました。
この頃の社員さんたちは、多くはもう、三洋堂に残っていませんが、「三洋堂創生期」ともいえる苦しいが夢のある時代を共有した人達はみな、今の三洋堂を創ったのはおれたちだ、という自負をお持ちでしょう。
だから、私は、ここに、現在の三洋堂の隆盛の果実を享受できなかった社員さんたちのことを書いておきたいと思ったのです。
結婚して決して多くはないお嫁入り道具を退職金にして退職された方、働けど働けど労働条件が改善されずあきらめて辞めていった方、自分のポリシーが貫けず辞めていった方、父や母のやり方に文句があって辞めた方もみえるでしょう。いろいろな理由で、今の三洋堂に残っていない方々に、一言「あの時代のあなたがたがあって今の三洋堂があるのだ」と、ここに感謝の言葉を残しておきたいと思います。何時の時代も、現実に会社を動かしてきたのは、ここで働く人たちだったからです。』

創業者加藤一は10年前の1999年6月6日に亡くなりました。享年71歳でした。
長男加藤宏は加藤一を評し、『周りに迷惑がかかっても、自分に正直な振る舞いを生涯貫き通した点で、父より幸せな人生を全うできた人を私は知りません。父が都合よく自分を騙し他人を欺くことは絶対になかったであろうと固く信じています。強い意志を持っていた、ということではなく、それが父にとって出来る唯一の生き方でした。
年をとっても正直で不器用な生き方は変わらず、自分や家族、会社にとって「どうするのが有利で、どうするのが不利か」ではなく、「何が正しく、何が間違っているか」が常に判断の基準でした。』と述べています。

三洋堂書店の良き規範は、この創業者加藤一、まさ子と加藤宏、そして、その薫陶を受けた社員一人ひとりによって築かれ、受け継がれてきました。
 その道程を振り返るとともに、「井戸を掘った人々」への感謝の気持ちを表すため、「三洋堂書店50年のあゆみ」を刊行します。

 零細で劣悪な労働環境の中で、わが社の基礎を築いた方々を忘れることなく、これからも「有利か不利か」ではなく「何が正しいか」を価値観として、三洋堂書店は進んでいきたい、そう思います。

2009年6月24日
株式会社 三洋堂書店
代表取締役社長 加藤和裕